人の不幸は蜜の味      ?

私がこの言葉を聞いたのはもう7,8年前だったと思います。
私はその時はまだ現役で、始めて営業を外れて庶務担当をしていました。
その時に何かと会社に文句をつけてこられる方がおられました。    どれも些細なことばかりで、普通の人であればまず苦情にならないことばかりを熱心にいってこられました。
私の代から始まったことではなく、歴代の庶務担当泣かせの方だったのです。
私は性格的に自分の納得しないことには妥協しないタイプですので、随分話し合いをしました。
会社に対しての苦情は、殆どが逆にその会社に対する愛情の裏返しの善意な方が大半で
残りのほんの少ない中に、金目当てと利害の反する方がおられます。
しかしこの方はどのタイプにも属さないのです。
愛情でもなく、金でもなく、利害が反するとも見えませんので、実に対応に困ったのです。
2年ほどお付き合いをして,ある意味では親しくなったのでその方に訪問される理由を聞いてみたのです。
そうしたらその方が「参ったか、参ったなら参ったと言え」と言われたのです。
私は「はっきり言って貴方のせいで仕事が出来ず,その点では参っています」といったら、始めて私がびっくりするくらいの満面笑みで「よっしゃ、参ったのなら教えたる。  人の不幸は蜜の味やいうことや。」と言われたのです。

この言葉はその時の私の想像の範囲外の言葉でした。
人の為にボランテイアで無私で働き,それを無上の喜びとされておられる方がおられるのは知っていましたが、人の嫌がる事をせっせとやってそれで無上の喜びを得ておられる方がおられるという事を,その時に初めて知ったのです。
私にも人間の心の中にやっかみや妬み心ぐらいあるというのは判ります。
しかしそれらの感情は一瞬のもので,そんなに長続きするものでは無い筈です。
それがこの方は毎日どんなことをすれば,最も人が嫌がるかということを熱心に考えているといわれたのです。
私がこの言葉を聞いた後、最初に考えたことは、この方は自分の心が満たされないことを
誤った方法で消そうしておられると思ったのです。
私の困った人という印象から、何とかこの方を救うといっては失礼ですが、気持ちを切り替え
て貰えないかと思った途端にこの方は私の前から姿を現されなくなりました。

長い空白でもうその方のことはすっかり忘れていたのですが、昨年秋に偶然に再び知ることになりました。
大腸癌での死。  それも3年間入退院をくりかえされての壮絶な死だったそうです。
私より少し若い方でしたから,未だ60歳前半での死になります。
私がこの訃報を聞いた時に、教えていただいた方に「大腸癌でしょう」といって、「どうして判ったのですか」と 吃驚させました。   偶然かも知れません。
しかし私には偶然とは今では考えられなくなりました。
何故ならこの方が最も困らせていたのは,人ではなく自分自身だったからと思えてならないからです。    心に痛めつけられた体が、悲鳴を上げ続けていたとしか思えないからです。

残念ながら最近の出来事は、身も心も凍るような事件が続発しています。 
その底辺にこの関連が浮かびます。
彼らをエイリアンという見方だけでは、解決できない心の闇の解明抜きには前進がないと信じています。

       
by 11miyamoto | 2005-02-09 10:05 | 雑感


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