鈍感力

昨日本屋さんに立ち寄ったら、正面の一番目立つ棚に作家の渡辺淳一郎氏の「鈍感力」という本がうず高く積まれていました。 新聞広告では見ていましたが、流石は流行作家というか
愛の流刑地という官能小説を書いたかと思ったら,今度は今の世相をぶった切る鈍感力を返す刀で鋭く喝破してきました。 私達の年代は鈍なやつと言われない為に、必死になって働き振舞ってきました。 鈍感という言葉にはマイナスイメージはあっても、プラスに作用する部分はほとんどないと言ってもよかったでしょう。  その反対に鋭敏に反応するとか,切れ者と言われるイメージに憧れた人も多かった筈です。 しかし時代は変わるというか、何事も過ぎたるは及ばざるで、そのような人やそれに憧れる人ばかりになった今は様相が変わってきました。 その最たるものが,鋭敏過ぎてチョットしたことにすぐ切れてしまう若者の出現です。 ハイテンションな人はストレスを溜めやすいのです。 そういった状態の中で過度な情報が追い討ちをかけますと、現代の人間は若者だけでなく誰でもがパンクする危険性をはらんでいると見たほうがよいのかもしれません。 この言葉でピンときたのが株式投資です。 私は少し前に運、鈍、根が株式成功の3条件だと書きました。 この鈍こそ渡辺純一郎氏のいう鈍感力なのです。  過去の株式投資の成功者を見ても、ほとんどの人がこの鈍感力を備えた少々のことに動じない胆の座った人ばかりなのです。 恐らく今何十億円儲けたといっても、デイトレでぴりぴりしながら株式取引している人は10年をたたずして残れる人は極めて少ない確率だと思います。 残れるとしたら,ここから先は持金を残して鈍な方向に180度転換した人だけでしょう。  それでは鈍ばかりがよいのかといいますと、私はそうではなく鈍と鋭のバランスが優れた人が素晴らしいと思います。  鋭ばかりの人はお互いが疲れます。 鈍ばかりの人もこちらが疲れます。 例えば思い遣りでもそうですが、これも度が過ぎますと受けた方が疲れます。 全くないと腹が立ちます。
この優れたバランスだと思いますから、どこで鋭になりどこで鈍になるかはその人の本当の思い遣りというものがどこに重点を置いているかにあると思うのです。
私は年をとってから手に入れた最高のお年玉、それはよい意味で更に鈍になったことです。 昔からその気はあったのですが、大体が暢気な気質でした。 世の中なんとかなるさという気持ちと、余り人の言葉に反応して過敏に行動しないという鈍の代表みたいな人間でした。 ともかく争いが大嫌いで,先ずそれを避けようと気持ちが働くのです。 その為に覇気がないとか動きが鈍いと随分マイナスイメージが定着しました。 しかし最近は智や鋭(利益誘導)中心に働く人の限界をたくさん見るようになって、私が貫いてきた鈍の中に鋭という生き方が満更でもないよい生き方と納得できるようになりました。
by 11miyamoto | 2007-03-12 09:33 | 雑感


<< 嫌な下げ 半値戻しは全値戻し >>