的外れな議論

株式相場ではえてして的外れな議論に接することが多いのに驚くことがあります。     それは概して自分の立場だけしか見ないで議論している時に多いのですが、前にはバブルの時に
日銀の三重野総裁が急激な金利引上げをしてバブル退治をした時、特に株を手掛けていない人を中心に平成の鬼平と持ち上げて拍手をおくりました。    その結果苦しんだのは株を持っていた人も大変でしたが、もっと大変だったのは株も家も持たなくてリストラにあって自殺者まで出した層の人でした。    今回の福井総裁の出資金問題も少し的外れな議論が交されています。    以前に福井総裁が民間に居た時に出資した資金が倍になろうが半分になろうが、これは資本主義の世界ですから問題はないと思うのです。     それと村上ファンドに出資したことも、私は結果論で是非を言うのはおかしいと思っています。
それよりも日銀総裁という公務公正の立場から見て、アメリカのFRBようにこの手の内規がないということと、内規はなくてもこのくらいの高い役職につく人であれば、李下に冠を正さずの姿勢がほしかったと思います。    そうすれば野党からの追求を受けることも、またそれに伴ってその後の判断のぶれも防ぐことが出来たからです。     それと今回の量的緩和問題ですがこれは福井総裁という一人の総裁ではなく、前からの人事の連なりからみてももっと早く打ち出すカードでなかったかと思えて仕方がありません。    ジャブジャブに貸し出した約100兆円という途方もないお金が日本の産業界で使われず、キャリートレードやブリックスや新興株への投資に使われたため世界の金融界のバブルを形成したと思われるからです。     今回の
世界同時株安の震源地はFRBのバーナンキ議長とNY株となっていますが、その下地を作ったのは日銀のあまりに長く続いた量的緩和だったのではないでしょうか。   何のための量的緩和であったのかという目的に照らして考えれば、それが違う目的で使われ出した時点で手を打つのが自然で、今回それがあまりにも遅きに逸したため、結果として自己責任の個人投資家の犠牲で終わった反省が政府や日銀内部にあるのでしょうか。    今問われるべき議論は総裁の懐具合ではなく、総裁がその儲けた金出すという小さい問題でもなく、個人投資家がここまで大きな犠牲を出した根源は何かということでしょう。    先回の日本のバブルも、今回の世界のバブルも、あまりに遅きに失した反動を日銀が一気に取り戻そうとあがいた結果、またも多数の個人投資家の大損を巻き込んでしまったといったら言い過ぎでしょうか。     それとも日本に住む限り、10数年に一度は地震と同様にこのような事態は覚悟して臨む必要があるのでしょうか。    天下の日銀には誰も本当のことを怖くて言えないでしょうから、先の短い講釈垂れの爺さんが代弁してみました。
by 11miyamoto | 2006-06-22 19:06 | 雑感


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